自分が医者になった理由は、大方の受験生と受験生の親が持つ理由と変わらない。
比較的高い、安定した収入のある生活、食いっぱぐれのない人生を歩みたかったからだ。
親も私が医師になることを切に願っていた。
私の医学部の志望動機に清廉さは全くなく、親の意見に流され目指していた側面が強い。
医学部卒業して研修医になり、研修医終了に近づくにつれて専攻する科の選択に悩んだ。
正直開業しない限り、勤務医はどの科に行こうと大きく収入差はないので楽な科に行こうと漠然と思っていた。
なのに研修医期間中、なぜか循環器内科と脳外科という超ハードな診療科から熱烈な入局オファーを受ける。
決して優秀な学生でもなく、ハイパー(やる気に満ち溢れていること)でもないのに。
おそらく上申などのプレゼンで目立つところでも病棟業務など地味なところでもそつなくこなしている風が、できる風に見えたのだろう。
我ながらできる風に見せるのは他人よりも上手いと思う。
対して高い志を持たないくせに、プライドは一丁前で、それなのに周囲の意見に流されやすい私は、果たして脳外科に入局した。
ただこのプライドを維持するには周囲よりも手術ができないと認められないと思っていたので、急患が来た時はなるべく指導医の側に張り付いてた。
指導医から「この緊急(手術)、やってみる?」と言われるためだ。
その手法で同期の中でとにかくope件数を稼いだ。
同期からはもはや「先輩」と言われるまで差をつけた。
同期よりも、先輩よりも高い技術を得て、早く自立した脳外科医になりたかったからだ。
しかし挫折した。
あまりにも背伸びをしすぎたせいで、その当時の自分の手には余るような手術も指導医不要と判断され、指導医なしでやるよう命じられることが多くなった。(それでも懇願して指導医にはきてもらったが)
どうやら自分の評価が一人歩きしてしまったのだ。
できる風を見せるのがうますぎて、誰も私のメッキを剥がせなかったのだ。
これが裏目にでる。
まだまだ下働きをしているような年次で下働き・病棟業務➕手術➕術前後管理➕救急外来➕術前後外来、のような状況になり、もともとの器の小さい自分はパンクしてしまった。
はっきりいってこれだけの仕事をやるならばプライベートのことなどどうでもいいくらいに思ってないと無理だ。
下は下、上は上、それぞれの能力に応じて仕事を持っているからこそ、あれだけの作業を分担できるわけで。
下っ端が上の仕事をやることは、下っ端が技術や立場を思いっきり上昇させるブレイクスルーになるわけだが、それだけの器と度量が必要だ。
そもそも上の仕事(いわゆる難しい手術や病状説明など)を任される内容にも限度がある。
結局プレッシャーに耐えかね、また周囲の応援がないことの苛立ちのために、ことあるごとにコメディカル部門と衝突した。
結果的にコメディカルからの反発で、大学からの異動を命じられた。
その後は2つの関連病院に異動した。
異動した最初の関連病院は1年しかいなかった。
脳外科医は2人しかいない病院だが、その異動先の上司は評判が悪く、下の医師に対してほとんどの仕事を押し付けるようなタイプだった。
2人しかいないので、皺寄せはもろに下の自分に来た。
なんとか当直の回数は3:7~4:6くらいの差まで交渉できたが、日々の診療は1:9~2:8のような割合だった。
異動したばかりで、再異動するようなことになると自分の評判を下げることになるので、それでも耐えることにした。
周囲には愚痴を漏らしていたが、愚痴を聞いてくれる仲間たちが慰めてくれていたので、なんとか耐えた。
耐え→慣れに変わる頃に当時の医局長(教授の次に人事権を握っているポスト)から異動の話がでた。
どうやら周囲が私を助けるよう進言してくれていたらしい。
正直その上司とのやりとりも慣れてきたし、意外と給料は悪くなかったので、1年での異動は少し悩んだが、提示された異動先の病院の上司の評判と給料がよいとのことで承諾した。
それが今の病院だ。
関東圏内の地方都市からすこし外れたあたりの住宅地のなかにある総合病院だ。
上司は飄々としたタイプで、苦情や文句がどこからか噴出しても、のらりくらりと憎めない笑いに変えて煙に巻いてしまう。
高田純次みたいなタイプだ。
なお給料は特段良いというわけでもなく、むしろ他に比べると低い印象だ。
そして基本的に手術は全て私がやっている。
異動してきた私の手術を見て、上司は自身の引退を宣言したのだ。
それもまた冗談のひとつなのだろうが、任せてもよいと思ってくれたと捉えている。
今は高難易度な手術ができることを目指しているわけではなく、専門医(国が定めている専門医機構で取得する資格)取得までに経験すべき手術症例のレベルまでなら執刀している。
頭蓋底手術や深部バイパスなど、一部のスタープレーヤーしか経験できないような手術は執刀していないし、これから先自分にスタープレーヤーの座に着くような、お鉢は回ってはこないだろう。
全くOPEできない脳外科医でもなく、どんなOPEもこなせるような脳外科医でもない。
長々と書いたが、これが平々凡々な脳外科医が出来上がるまでの経緯だ。
今考えれば大学時代の下っ端なのに上がやるような手術執刀をしていた時期、あれを耐えていればもしかしたら今頃スーパーな脳外科医になっていたかもしれない。
スーパーな脳外科医とはそのような状況に置かれる運とそのプレッシャーに耐えられる人間離れした忍耐力、もしくはプレッシャーを感じない鈍感力を持ち得た選ばれしものだけがなれるのかもしれない。
今考えればよく自分如きがそこまでやろうとしたものだと。
もし私より大きい器を兼ね備えた人物であれば、あの状況を乗り越えて、もしかしたら大学病院を引っ張る若手として、もしかしたら取り立ててもらえていたかもしれない。
ただ仮にあの辛い時期を乗り越えられたとして今と比較してそれが良い人生だったのかというのはわからない。
今の妻にも出会えなかった可能性もあるし、そしたら今の娘もいない。
出世ルートから外れたとはいえ、ストレスの少ない職場で、人間関係にもほとんど悩まされず暮らしている。
周囲に脳外科のある病院が不思議と充実している私の勤め先はなかなか症例数では競り負けてしまうが、私一人が執刀医であることを考えるとまあ妥当な手術件数だ。
今後風向きが変わり、自分に脳外科医として一段と成長できる「何か」があればぜひチャレンジしたいと思っている。
その「何か」を見過ごさないように常にアンテナを張って、この医局の外れから虎視眈々と成長のチャンスを伺う。
ただ「何か」は掴めないかもしれないし、自分の前には現れてくれないかもしれない。
でもそれならそれで良いと思う。
大抵の人間(生物全てにおけることだが)は大したイベントもないままに生きて死ぬものだから。
そんなこと考えながら、医局の外れ、都心の外れ、脳外科医のはしくれとして無為の境地を切り拓いている。
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